Def Techと杏さゆり
2000年代前半にグラビアで活躍していた杏さゆりが街録chにでていた。
新垣結衣と一緒にコント番組なんかにでてた時は、めちゃめちゃ可愛かった印象があり、新垣結衣を食ってるぐらいの人気だったとすら言ってもよかった。そのまさに人気絶頂の時に、給料の未払い、払われたとしてもあまりにも安すぎる額だったらしくて芸能界やばすぎるなと驚いてしまう。
うつ病になってしまい、動画の中で、その時に助けてくれた有名人を数人あげているのだけれど、その中に、Def TechのMicroの名前があり、すっごいわかるなあと思ったのであった。特別ファンというわけでもないのだけれど、神曲「My Way」の持つイメージとぴったり合致した瞬間であった。
*今日現在(2022年1月20日)、THE FIRST TAKEでは、2800万回の再生
金村修
たまーに、YouTubeにあがっている金村修の情熱大陸と、トップランナーを見返してしまう。いらいらした時にこそ創作意欲がわくので自然が綺麗なところになんか行きたくないと言っている。これは大竹伸朗も同じ事をいっていた。
昔、私の家は、友人がたむろする場所だったのだが、その頃の友人と連絡をとることは今はもうほとんどない。たまーに、実家に戻って過ごしていると、その頃の友人たちをふと思い出してしまうこともある。
部屋で一人、金村修をYouTubeで見ながらじーっとあの頃の友人は今は何をしてるのかな、と考えている。たいてい金村修のこの動画を見る時は、むしゃくしゃしている時が多い。芸術(とざっくり言ってしまうが)の効用の一つには、すかっとさせる炭酸飲料と同じ効能があると思う。
写真家と言えば、どこか独善的な響きがあるのだが、金村修が終始言ってるのが、己の都合だけで写真をとるんじゃねー。むしろ気配を消せ、個性を消せということだったりしてちょっと意外に思うが、これは芸術だけではなく、他の仕事もおうおうにそういう面があるよな、と思う。
トップランナーの動画に関して言えば、20年前の動画になるが、今も金村修は写真を撮り続けている。
追記 : 情熱大陸は、だいぶ"演出"が入っていますが。
キムギドクが死んだ
愛媛県今治の離島にいる。離島といっても、車で来ることが出来るのだが、知り合いが大阪に戻る予定があり、空いている期間を使ってみないか、と言われたので、少し前に来て滞在している。幸い仕事はリモートで可能なので、気分転換の意味もあるのだが、愛媛のここだと5LDKの一戸建てで家賃が5万円台と聞いて、クラクラしてしまう。建物自体は1950年ぐらいに建築されたものらしいが、8年ぐらい前にリフォームされているので、内装はとてもきれいだし、少し歩くと、しまなみ海道を望むことも出来るので、ロケーションは最高である。以前にしまなみ海道に自転車でツーリングに来たことがあり、とても好きな場所だったので一度チャンスがあれば住んでみたいと思っていたので、まさに今回のチャンスは願ったりかなったりといったところ。
島の夜は真っ暗になってしまうのだが、車でスーパーに買い出しにいった帰り、多々羅しまなみ公園のわきに車を止めて、携帯を見ていたら、キムギドクの訃報を目にした。
時計を見ると時刻は22:43分。12月の夜はかなり冷えるので、スーパーで買った缶コーヒーを飲みながらキムギドクのフィルモグラフィーを見返しててみた。
『春夏秋冬そして春』では105分の短い時間で人生の移り変わりを見立ててみせて、『うつせみ』では、無言劇の中で叶わぬ想いを語った。映画は素晴らしい。ただ素直に追悼できないのは、やはり性暴力の噂が絶えなかったからである。
何となく韓国で報道されていたのを耳にはしていたが、セクハラ疑惑という軽い言葉で日本に伝播されるよりも、もっと深刻な犯罪行為が行われていたということが、映画監督のヤン ヨンヒさんによってTwitterで語られている(下の一連のツイート)。
①キム・ギドク(監督はつけない)の作品を逃さず見ていた時期のことを考えていた。日本の緩い報道を見て、日本では彼の性暴力が伝わってないんだと認識した。これを読んだ人がどう考えるか、には興味ない。「知る」ことは必要だと思うので、キム・ギドクが何をしたかを短く書く。特に映画に関わる https://t.co/ItuthoDK4P
— ヤン ヨンヒ 양영희 (@yangyonghi) 2020年12月13日
(自分にとっては)一次情報ではないので、全てが真実なのかどうかはわからないが、一部事件に関しては韓国で裁判も起きており、ギドクが負けているとのことなので、この呟きの中の事柄にも少なからず真実が含まれているのかもしれない。亡くなってしまう前に、明らかにしてほしかったなと思ってしまうのである。
キムギドクの作品には孤独や暴力、性のネガティブな側面が多く描かれており、ギドク自身が恐らく内包していた部分を消化して作品作りしていたのかもしれないが、作品にするだけで、解決できておらず、本当にこのような暴力として表出してしまっていたのなら、これは本当に許されることではないだろう。ただただ残念だ。
ネガティブな感情をギドクが作品として昇華させることが出来るのはスゴイ才能だと称賛していたファンたちにとっては、ギドクの死というのは非常に複雑な問題を投げかけてくる。自分もその一人だが、死ぬ前に真相を知りたかった。
---
今日の1曲 藤井 風(Fujii Kaze) - "青春病(Seishun Sick)"
志村けんはずっとコントを作り続けていたんだよ
緊急事態宣言が出たが、幸い、在宅勤務が出来る職種なので家で仕事をしている毎日。先日、用事があって会社に出向いたのだけれど、やっぱりどうにも不穏な空気に東京は満ちていて何だか気持ちが萎える。そういえば、コメディアンの志村けんが亡くなってしまいかなり驚いた。スカイプで石巻の知人と話をしていたのだけれど、彼はリアルタイムの世代らしく、本当にショックを受けていた。
「志村けんのすごい所は、ずっとあの人はコントを作り続けていたんだよ。ある程度年齢が行くと、お笑い芸人というのは『文化人』になりたがる。映画撮ったり小説書いたりとかね。でもあの人はずっとお笑い芸人だったね」と彼は言った。
自分はどんぴしゃの世代ではないが、確かにそうだなあと話を聞いていた。深夜にコント番組をやっていたが、そういえば、いつの間にか見なくなっていたし、また同じことをやっているな、と思っていたのが本音だった。
「志村けんは死なないような気がしてたんだよね。それは、彼が素を見せることがないままだったからかもなあ。コントとかでアイドルとかにスケベなことをする変なおじさんだったんだけれど、そういう全部が演じてたのかもなあ」
私は、ふむふむと聞いていた。ただ、昔は志村けんもセクハラまがいのことをしていたけど、それについてはどう思う? と聞いてみた。
「確かに今の時代じゃ放送できないこと多いよね。でも、なんていうかいつからお笑い芸人が模範的な役目を担うようになったんだろうなー。変な話だよね、それって。僕なんて親にドリフは見るな、あんな大人になるなって言われてきたのに今はyoutubeで芸人が教育を語ったり、ニュースみたいな番組で司会みたいなことしてるわけだよね? それって何かおかしくないか、そもそも」
youtubeをあさっていたら、下記の動画で志村けんが作ることについて話をしているのがちょっと面白かった。
(8:31~)ぐらいから